以前、
病気のことについて書いたときに触れたおっとのことなのですが、新しくおっとについてのカテゴリーをつくって綴っていくことにしました。
おっと。10月に26歳になります。
わたしよりふたつ年下。
交際期間を含めると、彼とともに歩んできた期間は現在7年を超えました。
文系のわたしとは違い、理数系の考え方をするおっと。
着眼点がわたしとはまったく違い、それがとても新鮮でした。
感情の起伏が激しいわたしとは反対に、彼はあまり自分の感情を表に出さないひと。
彼は、わたしが出会ってきたどんなひととも似ていませんでした。
違和感を覚えたのはいつ頃だったか…。
はじめは「変わったものの捉え方、考え方をするひとだな」と感じるくらいだったものが、いつしかケンカをするたびに「どうしてそういうふうに捉えてしまうんだろう。どうしてそうなるんだろう。どうしてわたしの言葉をストレートに受け取ってくれないんだろう」そう思うようになっていました。
わたしの伝え方が悪いのだと、いろいろな言葉を使い具体的な例を出しながら、時にはノートに書きながら説明をしてきました。
それでもうまく伝わらない。
わたしはそれを、彼とわたしは正反対の性格をしているからだとずっと思っていました。
考え方に重なる部分がないときに反発しあってしまうんだ、と。
だから、一生懸命話し合って、お互いがお互いのゆずれない部分と希望を出し合ってルールをつくることによって、生活していくことが可能だと思い一緒に暮らすことを決めました。
反発しあうことがないときはほんとうに穏やかに時間を過ごすことができ、たくさんの思い出をつくることができていました。
基本的に出かけるときはわたしの行きたいところへ一緒へ行く、といったパターンがほとんどです。
美術館へ行きたい、カフェでのんびりしよう、買い物がしたい、温泉旅行へ行こう、…。
色々なところへ行き、たくさんの思い出をつくってきました。
一緒に暮らし始めてから、反発しあうこと、そして違和感を覚えることが増えてきました。
でもそれは、他人同士がひとつの家の中で生活することのギャップからくるものだと思い、やはり話し合いを繰り返してルールの再設定も行ってきました。
●彼はアニメやゲームをする時間をたくさんとりたい。
●わたしは彼と会話をする時間を多くとりたい。
相反する希望の妥協点を見つけ、そのルールを再設定した2ヶ月後。
わたしはうつ病になってしまいました。
彼はわたしに背を向け、ヘッドセットをしてパソコンに向かい、ふたつのモニターをアニメ用、ゲーム用と分けて楽しんでいました。
ふたりが見られるようにつけたテレビを、わたしはいつもひとりで見ている気分になっていました。
テレビの中におもしろいシーンがあり、それを彼に「今のめっちゃおもしろかったなあ!」と同調を求めても無視をされるか「え?何?」という返答ばかり。
わたしはもともと、実家にいるときに食事をしたり珈琲を飲みながら会話をすることが多く、テレビを見ているときもみんなで会話をしながら楽しむといった生活をしていました。
そのため、これも異なる生活をしてきたことによるギャップだと自分を納得させようとしました。
しかし、彼のこのヘッドセットをしてアニメを見ながらゲームをする(ときにはスマートフォンを片手に持って同時にゲームを進める、なんてことも)ことは彼にとってかなり重要であるらしく、再設定したルールを守れない日が続きました。
わたしが大切な話があるから時間をつくってほしいと言っても、彼はゲームを優先し、パソコンから離れたかと思うと今度はスマートフォンを両手に持ってソファに寝そべってまたゲーム…。
うつ病になってからは、そんな彼の姿を見ることがストレスになるので、わたしは夕食が済むと寝室に移動することがほとんどになってしまいました。
その頃(ちょうど今から一年前)はほんとうにつらく、仕事から帰ってくるなり冷たいフローリングの上に倒れこんで動けなくなる日やまったく眠れない日が続きました。
お薬のおかげでなんとか家事をこなし、仕事へ行き、おっとが帰ってくるまでの時間をフローリングの上に横たわって過ごし、おっとからの帰宅の連絡が入ってからフルスピードで夕食の用意をする…そんな毎日でした。
食事が済むとおっとはパソコンの前。
わたしは自分の存在理由がわからなくなってしまっていました。
わたしはなんのためにここにいるのか。
このひとには、わたしではなくても家事をしてくれるひとがいればそれでいいのではないか。
憂鬱な気持ちを奮い立たせて朝食とおっとのお弁当の用意をする朝にゴミ出しをするのはしんどかったので、夜の間にゴミ出しをしてしまうこともありました。
そんなとき、あるとき、夜風が気持ちよくて少しだけ家の近くをぶらついたことがあったんです。
そうしたら、近所のおじさんがどこかのおうちから出てきて(どなたかは知らないひとですが)空を仰いで煙草をぷかりと吸って、わたしに向かって「雨や言うてたのに晴れてるなあ〜」って話しかけてくれたんです。
わたしは「そうですねえ」って答えたんです。
そうすると、おじさんは「今日は暑かったねえ」って返してくれたんです。
そんな些細な、他愛もない会話。なんてことない言葉。
それだけで、わたしはその日とても幸福な気持ちになったんです。
あぁ、会話って、こういうものだった…って。
このままでは自分はダメになる。そう思いました。
自分の存在理由も、価値も、何もかもわからなくなって毎日消えてしまいたいとそればかりを考えていました。
お薬を徐々に増やしていき、現在と同じサインバルタ40mgを飲むようになって少し気持ちは落ち着き、まったく興味が失せてしまっていたハンドメイドなんかもできるようになりましたが、おっとがゲームをしていて会話にならない生活は変わらないためか体調が良いときと悪いときを繰り返す波が消えることはありませんでした。
そして、今年の夏。大事件が起きたのです。
今考えると、この大事件がある”可能性”について考えるキッカケになったと思います。
その大事件については、下の「and more..>>」に書きたいと思います。
(かなり長文になってきましたので。。)
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